こんにちは。今日も肌寒い一日でしたね。
今日は、学生時代に同じゼミにいた韓国からの留学生のSさんが初めて東京に遊びに来てくれていたので私の家族とともに半日東京ツアーに。
彼は私よりも8個年上、今はマレーシアに住んでいて学校経営をして成功している人物で、とてもバイタリティのある方です。
大学卒業以来に会うので約15年ぶりですが、相変わらずの元気さで刺激を受けました。
そんな彼とまずはランチということで、家族5人つくばエクスプレスに乗って、都内へ向かい月島にあるこちらのもんじゃ焼き屋さんへ。
つきしま小町
初めて月島に行きましたが、このお店のある通りは他にもたくさんもんじゃ焼き屋さんが並んでいましたね。
海鮮もんじゃと明太チーズ餅入りもんじゃ、子供達にはやきうどんをオーダー。
最初は焼き方がわからなかったので、お店の方に実演してもらって、2回目は自分たちで焼いてみました。
海鮮もんじゃはタコやエビ、イカがたっぷり入って海の風味が感じられるもの、明太チーズ餅入りのほうは明太の辛みがビールをとよく合って、結構量が多いかなと思いましたが、完食。
Sさんはもんじゃ焼きは初めてでしたが満足していたようです。
もんじゃ焼き屋さんを後に、水上バスでスカイツリーに向かうため大江戸線の勝どき駅から汐留駅へ移動し、浜離宮庭園へ。
この庭園の歴史については、浜離宮のウェブサイトから一部抜粋。
この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
東京では外国人観光客が最近増えたなーと思っていましたが、ここの庭園も外国人の方が多くみられましたね。手入れの行き届いた松なんかは珍しいと思うとSさんも言っていました。
この庭園の海寄りの一角に水上バス乗り場があり、ここから乗船。
浅草発日の出桟橋着のバスが浜離宮を経由するため、そこで乗船した私たちは、一度浅草とは逆の日の出桟橋へ向かい、そこから折り返し浅草へと向かいました。
船の中も外国人ツアー団体客がたくさん乗っていて、ここは日本じゃないかのような感覚になりましたね。
隅田川を上流に向かっていくわけですが、途中JR総武線の陸橋を除いて13の橋をくぐりました。一番印象に残ったのは、タワーマンションの多さ。リバーサイドタイプというのか、タワーマンションが川沿いの両岸を固めるように立ち並んでいました。
浜離宮から約50分の船旅で浅草は吾妻橋たもと近くの船着き場へ。
さっそく吾妻橋からスカイツリーを見上げると。。
なんと展望台に雲が!
あらかじめ予約しないと混雑で大変だと思っていたので予約していたのですが、週間天気予報で週末の天気が怪しいとは察知していたところ、やはり。。
でも、払い戻しはやっていないし、日を変更はできるものの、Sさんは引き続き天気が悪そうな明日帰っちゃうしでやむを得ず350mの天望デッキへ。分速600mのエレベーターで1分もかからずデッキに到着。
時々、雲の切れ間からタワーから近い範囲の風景がなんとか見えるという。晴れていれば富士山や地元の筑波山も見えるのでしょうが、まあこればかりはやむを得ないですね。
多少見えただけでも雰囲気がわかってよかったです。
帰り際、ガラス床へ。。
ちなみに私は高所恐怖症なので、ガラス床には乗らず、へっぴり腰でガラス床のサイドからカメラだけガラス床上に手を伸ばして撮影。
首を伸ばして覗いてみましたが、やっぱり怖いです。。
スカイツリーを後にし、Sさんとは再会を約しつつ、浅草でお別れ。私の子供たちともすっかり馴染んで、いい思い出になったと言ってくれて、私も嬉しかったです。
東京で仕事をしていて東京にはよく行っているつもりでも、いざ外国の人を観光で案内するとなると、はたと困ってしまうぐらい、自分自身があまり東京を知らないことに気づかされる半日ツアーでした。
同じことで、日本国内にもまだまだ知らない素晴らしい場所があると思いますので、もっと日本国内にも出かけていきたいと思います。